□■ 第一話 ■□ 東屋 上
「あ〜ぁ、ねむ…」
うららかな昼下がり、日当たりのいい場所に陣取ったあずまは、
重力に逆らわずその場に横になった。
「こんなトコで寝るな。ここは公共の場だ」
卑しく惰眠をむさぼろうとするあずまを、通りがかりのあおいが
一喝した。
純血だという彼は、全体的に色素が薄く、あずまと共に御職をは
るだけあって、整った顔立ちをしている。
その顔から表情がなくなると、まるで人形のようだ。
冷たく見下ろされても、食いつかず、あずまは軽くながす。
「えー、いいじゃないですか。昨日も遅くて…。も〜しつこいったら」
「だったら自分の室にかえれ。邪魔だ。いくぞ、ほたる」
いいたいことを言うと、あおいは自分付きの禿のほたるをつれて
去っていった。
残されたよもぎは、あおいのことを少しも気に留めた様子のない
あずまを、ちらりと見てから遥か高い空に視線をやって呟いた。
「ぼくもお腹すいたな」
「……」
さりげなく無視するあずまを横目で見てから、追い討ちをかける
ように再び恨みがましく呟く。
「ほたるはいいな、あずまさまは禿にご飯もくださらな・・・」
「わかった、わかりましたよ。昼食べにいけばいいんですね」
のっそり立ち上がると、乱れた衣を整えもせず、あずまは歩き出
した。
あずまから剥がれ落ちた衣を拾い、たらたら歩くあずまに着せ掛
けると、よもぎはため息をついた。
「本当にあおいさまに禿になったほうがよかったなぁ。あおいさま
なら、なんでもテキパキなさってくださるだろうし」
「やめときなさい。あおいは我侭ですよ。うるさいし、低血圧だし」
あずまはあおいの欠点を指折り数える。その肩からずり落ちそう
になった衣をまた着せ掛けて、よもぎはあさっての方向を見ながら
あずまを詰った。
「我侭…ねぇ。誰かさんのお世話をするよりは楽だお思いますけど。
ちゃんと衣を着て、しゃきしゃき歩いてくださるなら、よもぎは少
しぐらいの我侭、よろこんでききます」
「よもぎ、いうようになりましたね…。くすぐってやるっ」
よもぎが擽りに弱いことを知っていて伸ばしてくる手をはたきお
として、よもぎはツンとそっぽをむく。
あずまはなぜ自分の禿はこんなに冷たいのか疑問に思った。日頃
の己の生活態度を省みず。
「かわいくない子ですね。ところで大人しくて順応なかがりちゃん
はどこに?今日はまだ見てないような気がするんですけど」
「いつものとこですよ。今夜も帰ってくるか微妙ですね」
「あ〜、あの人も報われないですねぇ」
さきほど見た綺麗な横顔を思い浮かべた。
そろそろ適わない想いだと気付けばいいのに。
認めたくない気持ちも分からないではないが、いいかげんみてい
て憐れだ。
「あっ、さかきさま」
物思いに耽っていたあずまは気付くのが遅れたが、向こう側から
歩いてきた人影はこの月華宮の主人.さかきだった。
「あぁ、おはよう、でもないか。よもぎは今日もかわいいな」
「ありがとうございますっ」
よもぎは頬の端をすこし紅く染めて、素直にあずまに頭を撫でさ
せた。
こいつ、やっぱりかわいくない、と思いつつ、あずまはさかきの
腕に抱えられているモノに目を止めた。
「さかきさん、それは……」
「かがりだ。気を失ったまま寝てしまって。これから室にかえしに
いく」
「ココ最近ずっとじゃないですか。私たちが少し丈夫に出来てるか
らといって、あんまり酷使すると死んでしまいますよ」
トン、と柱に背をあずけ、あずまは呆れたようにさかきを見る。
冷ややかな笑みを湛えたさかきは、かがりを抱き直して、その額
に軽く口付ける。
「そうだっけ? まぁ心配しなくても今夜はゆっくり休ませるさ。
無理させてることは否定しないし。だから、あおいに私の室にくる
ようにいっておいてくれ」
「さかきさんっ! いいかげん、あおいから手を引いてください。
もうこれ以上あの人に期待させるような真似はしないでください。
真剣に相手をするつもりないんでしょう?!」
「お前には関係ないだろう。私のものをどう扱っても、お前に文句
を言われる筋合いはない。それともお前が相手をするか? 先月の
御職殿」
あずまは唇を噛み、眉間をよせた。さかきが主である以上、最終
的にあずまはさかきに逆らえない。
「とりあえず、私はあおいに伝えません。どうしてもあおいと遊び
たければ、ご自分で呼んでください」
そう言い放つと、あずまはさかきの脇を足早に通り過ぎていった。
「あっ、あずまさま。待ってくださいよぉ」
その後をよもぎがぱたぱた追いかけていく。
そんな二人の後姿をしばらく見詰めてから、さかきは身を翻した。
「待ってくださいってば。もう、あずまさまっ」
あずまが落とした衣を拾いながら、よもぎは一生懸命追いかけた。
悲しいかな、コンパスの差がかなりあるらしく、あずまは早いと
はいえ歩いているのに対して、よもぎは走らなくてはついていけない。
「そんなに怒らないでくださいよ。いつものことじゃないですか。
しょうがないですよ、だってあおいさまはさかきさまのことが」
よもぎがそう言った瞬間、あずまは立ち止まった。
人も急には止まれない、よもぎは勢い余って、あずまの背中に顔
面から突っ込んでしまった。
「あたたたた。急に止まらないでくださいよぉ」
「……」
あずまは抗議するよもぎには目もくれず、向こうの部屋をじっと
見ていた。
どうやらあずまは、よもぎの言葉に足を止めたのではなく、そち
らに気をとられて立ち止まったらしい。
あずまの視線を辿ってみると、そこにはさっき別れたあおいとこ
の月華宮の遣手・わかながいた。よくみると、ほたるも部屋の端っ
この方にいる。
なんだか二人は何かを言い争っているみたいだ。
「またですか…」
あずまはそう呟くと、やれやれといった感じでそちらに向かって
歩きだした。
あおいとわかながくだらないことで言い争うのはいつものことで。
それをあずまが仲裁するのもまた、いつものことだった。
「まったく、今日はいったい何事ですか?」
突如あらわれた邪魔者に、二人の口は一時とまったが、それも一
瞬のことで、今度は矛先をあずまに変えて、騒ぎだした。
「ちょっと聞いてよ、あずまくんっ。あおいったらね」
「あずまっ、そんな女狐の言うことなんかに耳をかすな」
しかしそれもスライドしていき、再び意味のない言い争いに戻っ
ていく。
「狐はそっちでしょ? いっしょにしないでちょうだいよね、けもの」
「け〜も〜の〜?! 先にいいがかりをつけてきたのはお前の方だ
ろ。このブラコンバカ女!」
「なんですってぇ! このクソがきぃ〜」
「だ〜れがクソがきだって? お前こそたった30年しか生きてない
くせに、でかい口叩いてんじゃねぇよ」
「しっつれいな。私はまだ26ですっ。だいたいガキをガキっていっ
て何が悪いのよ。自分の精神年令を一回よく考えてみたら?」
「お前もな。もうすこし年令にあった発言をしろよ」
「私の5倍も生きてる化け物に言われたきゃないわよっ」
「ストーップ!!!」
今まで腕をくんで傍観を決め込んでいたあずまが、ついに止めに
入った。
このまま放っておいてもいいが、おちびさんたちが餓死してしま
うと困る。
「はいはい、今日はここまで。わかなさん、ほたるとよもぎがお腹
を空かせていますよ。あおい、モノを投げたのはあなたでしょう?
片付けなさい」
「あら、やだ。もうこんな時間?」
わかなは時計を見ると、食事を取りに台所へかけていった。
残されたあおいは、まだブツブツいいながらも渋々片付けをはじ
めた。
今まで部屋の隅で二人を見守っていたほたるが、無言でそれを手
伝う。
「なんで俺がこんなことしなくちゃなんないんだよ」
「自業自得です。あなたが投げたのだから、あなたが片付けるのは
当然でしょう? 文句いわないでください」
あずまのいったことは正しいので、あおいはそれ以上何もいえない。
ばら撒かれた座布団を集めてまわっているほたるを、よもぎが手
伝おうとしたが、あずまはそれを止めた。
「よもぎはしなくていいですよ。その変わり、私に衣を着せてください」
「あっ、はい」
よもぎは床に転がっていた蜜柑から手を離し、握り締めていた衣
をあずまに着せ始めた。
寝起きに、適当に羽織っただけの衣をかろうじて帯でとめている
だけの状態だったあずまは、動いたこともあって、かなりはだけていた。
確かに時間にはそぐわない格好である。
場所にはとてもよくあっているが。
「髪も縛ってくれますか。邪魔でしょうがない」
髪紐を手渡し、寝癖がついたまんまの髪を束ねてもらう。
その髪は、黒く艶やかなところは普通と変わらないが、毛先だけ
が異様に白い。
「あずまさま、なんで先っぽだけ白いんですか?白髪?それとも染
めたんですか?」
「地毛ですよ。生まれつきこうなんです」
「へーんなの。みんな茶色っぽいのに。あ、でもあおいさまは金色
ですな」
よもぎはあおいの頭をちらっと見て、手で梳いているのと比べる。
やはり、あずまの毛色は変だ。よもぎは今までこんな色を見た事
がなかった。
そしてあおいのような色も滅多に見かけない。ほたるのような薄
茶ならあるが。
「格が違うんだよ、俺は」
「へ〜。あおいさまはえらいんですね」
「まぁな」
ふふんと鼻でわらい、あおいが最後のゴミをくず箱に投げ入れる
と、ちょうどそこへ食事を取りにいっていたわかなが帰ってきた。
「みんなが最後みたい。早く片付けたいから速やかに食べるように
ですって。あと、あずまさん、さかきが呼んでたわよ。後で室に来
てって」
わかながそう言った瞬間、あおいがものすごい目であずまを睨ん
できた。
「あおい。何勘違いしているか知りませんけど、気持ち悪い想像は
しないでください。ご飯がまずくなります」
げんなりとして、あずまはあおいの頭のなかで繰り広げられてい
る妄想にストップをかける。
「ふ〜ん。それで?」
「いつもの仕事でしょう。今晩はあの人の相手なんかしませんよ」
「今晩は、ね。どうぞご勝手に」
「あおいと遊ぶのはやめたんですか?」
自分の室の布団の上にだらしなく寝転び、煙管をふかしているさ
かきに、厭々ながらやってきたあずまは声をかけた。
さかきはその声に反応して、顔だけをそちらに向ける。
「あぁ。仕事が入っていたのを思いだした。こっちにおいで」
「できればご遠慮したいんですけどね」
あずまは布団から起き上がる気配のなさそうなさかきの脇に、腰
を降ろすとさかきの手から煙管を奪い、口に運ぶ。
手持ち無沙汰になったさかきは、目の前に長く垂れ下がっている
あずまの髪を弄りだした。
「これは切ったら、また白くなるのか?」
先っぽの方を玩んでいる手に力が入り、髪を引っ張られたあずま
は、不意を突かれそちらに倒れ込んだ。
「痛っ。ちょっ、やめてください。抜けたらどうしてくれるんです
か」
あずまはさかきの手から髪を奪い返し、起き上がろうとする。
その手首を掴み、さかきは自分の方に引き寄せた。
「あっ、っと。もう、さっきから何をしたいんですかっ?仕事があ
るんでしょう?」
「まだ時間はある。少し相手をしろ」
「嫌ですよ。さっさと離してください」
べしっと、あずまは容赦なくさかきの手を叩いた。
さかきは赤くなった手をふりながら、やっと起きあがる。
「あの篭とってくれ」
「コレですか?はいって、何故脱いでいるんですか」
帯をとき、着ていた着流しを脱いでいくさかきに、身の危険を感
じたあずまは後方に飛びのく。
「お前も脱げ。時間がない」
「はぁ? まだ諦めてないんですか。これから仕事なんでしょう?」
「だから、だ。そんなに遊んで欲しいなら、相手してやるぞ」
さかきは篭の中から洋服を取りだし、着がえていく。
さすがに花街を出ると、着流しは目立つ。
人に誇れる仕事をしに行くわけではないので、窮屈ではあるが、
さかきは洋服を着て出かけるのだ。
「どうした、行くんだろう? その姿では連れてゆけないぞ」
楽しそうに、にやにや笑うさかきに、あずまは足元に転がってい
た筒を投げつける。
「だいたい処女でもあるまいし、何をそんなに恥ずかしがる?」
それをうまくキャッチし、さかきは筒の蓋を開けた。
「もう、なんでこんな人に育ってしまったんでしょう? 昔はあん
なに可愛かったのに」
さかきが捕らえた他の管達とは違い、あずまはさかきの祖父の代
から彼らに仕えている。
さかきが幼少の頃に彼に譲られてから、あずまはずっとさかきの
成長を見守ってきた。
「お前の育て方が悪かったんだろう」
「そのようですね。次は気をつけますよ」
「そうしろ。ゆくぞ」
今度はその言葉に従い、あずまはシュッと腹部を覆う帯を解いた。
そのまま、さかきの目の前で心持ち上を向き、膝をつく。
あずまの額に指をあて、さかきが低く何かを呟くと、あずまの姿
は消え、そこには掌サイズの銀狐があらわれた。
さかきがその背を一撫ですると、狐はふっと音もなく、さかきの
左手に握られている竹筒の中に吸い込まれていった。
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