□■ 第二話 ■□  東屋 下





 窓の外に見える、落葉の景色をぼぉっと見つめながら、さかきは ぼんやりと煙管を燻らせた。  淡い紫煙を吐き出しながら、先程、わかなが置いていった紙に視 線を落とす。  そこには今回の依頼者である、田中宗助とその妻についての調査 結果が書かれていた。 「馬鹿馬鹿しい……」  なぜ、人はこんなにも強欲で自分勝手なのだろうか。  ……いや、“人”だけではない。  軽くため息を吐き、さかきは再び庭の紅葉を眺める。職人に定期 的に手入れをさせている月華宮の中庭は、人工的でありながらどこ か自然な雰囲気を残しており、さかきも好んでいた。特にさかきの 部屋の窓から眺める景色は、さながら一枚の絵画のようである。  紅く染まり始めた紅葉は風景に溶け込み、秋の訪れを感じさせる。 静かな庭内に時折響く添水の音も、耳に心地よい。 「なぁ、かがり、お前もそう思うだろう?」 「はい……」  さかきの隣りで何をするでもなく佇んでいたかがりは、さかきの 言葉の意味を訊くこともせず、ただ追従の返事をする。  さかきがそう望んでいるからだ。  かがりはそれを承知しているので、さかきの機嫌を損ねるような 発言や振舞いはしない。  そんなかがりをさかきは気に入っていた。  穏やかに過ぎていく秋の暮れ時を、二人はただ静かに感じていた が、そっとかがりは伏せていた瞳を開き、立ちあがろうとした。 「まだいいだろう」  そういってさかきは引き止めようとしたが、かがりは緩やかに微 笑んで、そっと衣の裾に触れていたさかきの手を剥す。 「あずまさまがいらっしゃいます」 「そうか……」  耳をすませると、こちらに向かってくる足音が二つ聞こえた。  すべる様に歩く音とそれを早歩きで追いかける音。板張りの廊下 がギシギシと軋み、足音が段々近くなる。   それはかがりの言葉通り、さかきの部屋の前で止まった。 「さかきさん、入りますよ」  返事も聞かずに、あずまは部屋の襖を開けた。  あまり機嫌のよくないあずまは、遠慮も何もなくズカズカ部屋へ 入ってきた。 「私はいきますね」  襖の方を一瞥して、かがりは今度こそ立ちあがった。 「かがり……。さかきさん!」  中にかがりがいるのを見つけたあずまは、すごい形相でさかきを 睨みつける。  それは今にも射殺しそうな視線だった。  睨まれたさかきはため息をついて、肩をおとした。  そのさかきの態度は、あずまはこめかみに青筋を一本追加させた。  眉間には三本も皺が刻まれている。まるで夜叉のような顔だ。  次にさかきがあずまの気を逆立てる行為をしたら、さかきは絶対 にあずまに首を締められていただろう。  そんな二人を見たかがりは、苦笑してさかきを弁護した。 「ちょっと話していただけです」 「かがりっ」 「別に庇っている訳ではありません。ただ事実を述べたまでです」  淡々と話すかがりを、あずまは一睨みすると、しゅるしゅると衣 擦れの音をたてながら窓枠に座っているさかきの隣りにゆき、無造 作に腰を下ろした。美しい色の仕掛けが波を打ってあずまの周りに 広がる。 「あずま、衣が皺になるぞ」 「どうせ今夜は揚がらないのでしょう? だったら構わないじゃな いですか」  あずまはさかきの足元の紙を嫌そうに眺め、投げやりに答えた。 「たぶんね」  何が可笑しいのか、さかきは面白そうに薄く笑うと、落ちていた 足元の紙を拾って、細かく千切った。 「それ、誰が片付けるんでしょうね?」 「さぁ? 少なくとも私ではないな」 「あぁっ、もう!」  あずまの嫌味も、軽く受け流して、さかきは桜の花弁のように千 切った紙切れにふっと息を吹き掛けて、庭に撒いた。  紙片は、はらはらと雪のように花びらのように落ち、風に乗って 空高く飛んでいく。  最後の一片がさかきの掌から離れると、急に激しい風が吹き、周 囲の木々に留まっていた鳥達が一斉に飛び立った。    その影が沈みかけた紅い夕日に照らしだされ、刻々と近づいてく る宵を告げる。   まだ見世に出る支度をしていないかがりは、闇色に染まった東の 空を見て身を翻した。 「では、私はこれで。あずまさま、よもぎをお借りしていきます。 支度を手伝って貰いたいので」  かがりは乾燥した微笑を浮かべ、無表情なまま軽く頭を下げた。 「構いませんが……大丈夫ですか? 今朝も……」  心配したように、あずまは躊躇いながら頷く。  しかしその言葉を遮って、かがりはきっぱりと言った。 「いいえ、大丈夫です。準備を」  よもぎを促し、かがりは音もなく部屋を退室した。 「あっ、待ってください! あずまさま、行ってきます。ご用があ ったら呼んでくださいね」  その後を追いかけるようによもぎも軽く会釈すると、慌ただしく さかきの部屋を出ていった。 「かがり」 「あおいさま」  さかきの部屋から自分の室に戻る途中、かがりは階段の上からあ おいに呼びとめられた。 「あずまを知らないか? 室にいなくて、探しているのだが」  あおいはすでに支度を済ませ、仕掛けを羽織ったままあずまを探 し回っていた。 「あずまさまはさかきさまのお部屋に」 「あぁ。ありがとう」  かがりが答えると、あおいは礼もそこそこに踵を返し、さかきの 部屋に向って歩きだそうとした。しかしかがりがそれを鋭い声で阻 んだ。 「お待ちください」 「なんだ?」  眉間に皺を寄せて振り向くと、あおいは不機嫌そうに尋ねる。  それに怯むことなく、かがりは静かに、しかしきっぱり言い放っ た。 「あずまさまはこれから仕事です」 「邪魔するなってこと?」 「えぇ」 「……かがり、……今回の仕事はいったいなんなんだ?」  あおいがあずまを探していた理由はそれだ。その答えを聞きたく て、見世に揚がる直前の忙しいこの時間にわざわざあずまを探 していたのだ。  先程、訊ねた時のあずまの過剰な態度に、あおいは不信感を募ら せていた。  いつもは自分の事なんか軽くあしらうあずまが、今回の仕事のこ とについてはやけに過敏に反応する。 「お答えできかねます」  そんなあおいの意図を知ってか知らずか、かがりは冷たく受け流 した。 「知っているのだろう? なぁ、かがり?」 「……存じています」  威圧するような視線であおいが睨みつけると、かがりはしぶしぶ それだけ答えた。  やはりかがりもグルなのだろう。  自分だけ仲間外れにされた気分になり、あおいは面白くない。  声を荒げ、続きを問い詰めようとした。 「じゃあっ……!」 「ですが、私から申し上げることはできません」  だが、かがりは一筋縄ではいかない。  それ以上は断固として話さない姿勢をとり、はっきりとそう宣言 する。  それは明らかな拒絶だった。 「なぜだ?」 「さかきさまのご意志に反するからです」 「どんな意志だよっ」 「あずまさまの希望に添う、という」 「あずまっ! 一体、俺に何を隠そうとして……」  また、あずまか。  一体どれだけ俺をコケにすれば気が済むのか、そしてあいつは何 を考えているのか、あおいにはさっぱりわからなかった。  あずまの気持ちも考えも、そしてそんなあずまを尊重するさかき のことも。 「それは時が来れば、あずまさまかさかきさまがお話になるでしょ う。少なくても今はその時ではありません」  かがりはあおいに言い聞かせるように、厳かにそう言った。 それはまるで巫女の神託のようであった。 「いつだっ?」 「近いうちに必ず」  そっと瞼を閉じ、確信したかのようにかがりは答えた。その未来 を見てきたかのように、絶対の未来を指し示すように。 「ふんっ。今日はやけに饒舌だな」  苛立たしげに軽く舌打ちをして、あおいはかがりを見下ろした。 「……それが私の定め」  かがりは俯くと、小さくそう呟いた。 「勝手にしろ」  吐き捨てるように言い残して、あおいは自分の室に戻っていった。 続きはボイスドラマをお聴きください。